裏でひそひそ話すことは、最後は必ず人前で言え。
そうじゃないと自分もただの嫌な奴になるだけ。
ひそひそ話は相談であるべきで、そこから何も得れなければただの陰口でしかない。
陰口は、自分を卑しい存在にしてしまうだけだ。
努力の成果を他人に求めるな。
努力とは自分の為にすること。
『俺は頑張った。だからお前も頑張れ』
正しいようで間違ってる。
大抵は後から思って言うことなんだから。
最初に努力を始める時は、きっとそんなこと考えてはいないから。
気づける人は少ないが、間違えてはいけないこと。
他人のやる気を出させる努力をしなきゃ他人はやる気を出さない。
自分の考えを信じるのは大事。
でも、人の意見を否定する権利はないことを忘れてはいけない。
五年でも、十年でも、十五年でも、それ以上であったとしても、自分の考えてきた道を他人に否定される筋合いはなく、また自分も他人を否定する権利は決してない。
そんな考えもあるのかと、聞いて自分に生かせれば理想。
聞いてすぐ、そんなのおかしいと否定できるほど自分は正しくないと知れ。
間違えたことの無い人間ほど怖い人はいない。
なぜなら、自分は正しいと信じているから。
たとえ間違えても間違いに気づけないから。
間違えてしまった相手の気持ちがわからないから。
間違えた相手を追い詰めてしまうから。
人間、自分を絶対だと信じて疑わないものは、他人に対してかなり冷酷になれるのだから。
みんながみんな自分なりの考えを持っている。
それを、一つの目標の為に少しずつ自分を捨てなければ団体はまとまらない。
団体の中で自由に振舞うというのは、ある程度団体の為に自分を捨てた後の話だ。
最低ラインぐらい自分で気づくべき。
守れてないと言われたら少しは自分を振り返るべき。
上に立つ者達がまとまっていないと困る。
でも実は、固まりすぎているよりは安全でもある。
上に立つもの皆が同じ考えでは、その人たちだけの理想でしか動けない。
方針が決まるまではむしろもめるくらいでちょうどいい。
方針が決まった後はまとまるべき。
バランスを忘れてはただ独裁でしかない。
『もう完璧です』
おめでとう。プロ以上とは恐れ入った。
『努力しました』
で?
『誰よりも努力しました』
他人を馬鹿にするべきではない。
見えないところで頑張るものもいれば、みんなとは違うやり方で努力しているかもしれない。
技術があるのと、努力をしたのが必ずしもイコールになるとは限らない。
『できっこない』
それはやるだけの努力をした後に言うべき。
努力もせずに言う奴に未来なんてない。
無理だと決め付け、努力する人を笑うのは人として最低の行為。
何偉そうなこと書いてんだって思うよね。
自分なりの考えっていうか、自分はできるかぎりこう考えていようかと思っている。
全然実行できてない気がするけど。
それでも大事だと思っていることを書いてみた。
当然これは自分の考えでしかない。
自分なりに過去を振り返って、経験してきたことや教えられたことからこう思うようになっただけ。
中学、高校六年間信じてきた考えは、引退した後に間違っていたのだと思い知らされた。
努力すれば
誰よりも努力すれば
他人が見ているところで
他人が見てないところで
全力で努力していれば
いつかは伝わる
みんなも頑張ってくれる
もしみんなが付いてきてくれないのなら
それはどこかで自分が怠けた証拠
他人は相手の悪いとこをよく見ているのだから
努力すれば
いつかは伝わる
結局、自分の努力は自分の為でしかなく、誰かに努力してもらうときは『努力をしてもらう』努力をしなきゃいけない。
自分の六年間を否定されたようで、正直いろんなことが嫌になった。
大学でテニス部に入んなかった理由の一つでもある。
ふてくされていたのかもしれない。
でも、六年間信じたものを否定されて、自分に自信が持てなくなった。
上でも、同学でも、下でも、言っていることが全部正しく聞こえてしまう。
『自分はまた間違えたのか?』と怯えるようになった。
自分で自分が嫌になる。
結局なにが書きたかったのかよくわからん。